Design / Art

2026.10.24

ガーデンクォーツが封じた景色に現代人は何を観るか

photography CHIZURU MAEDA
text YUKA SONE SATO

ガーデンクォーツが封じた景色に現代人は何を観るか

昨今、石や水晶、原石が注目を集めている。その背景には、美や豊かさが再定義され、伝統や素材の価値が見直されていることがあるのだろう。
 
スクラップ&ビルドと揶揄された東京のように、古いものを新しい素材やテクノロジーで置き換えることを美徳とする価値観は、ここ数年で様変わりした。古い文化や技術は、伝統への敬意を払われながら、新しい世代の感覚や価値観とともに現代の暮らしを塗り替えている。

 そこには、すべてのものに神が宿り、世界は循環によって成り立つという東洋的な思想とのつながりを感じずにはいられない。だからこそ現代の私たちは、瞬間や経過といった時間の痕跡に、特別な思いを抱くのかもしれない。
 
アジアの伝統を独自の美学で表現するジュエリーデザイナー安部真理子が率いるsharanpoiと、甲府で詫間宝石彫刻を営む詫間康二のレーベルKOJI TAKUMA、そしてTAKUMA STUDIOが、京都・haku kyotoで展覧会『水は石、地と時の景』を開催する。これにあたり、二人が称える水晶や貴石へのまなざしと、その背景に込められた思いを紐解いてみたい。

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ガーデンクォーツとは、内側に”混じり気”を抱き込んだ水晶だ。結晶が育つ過程で周囲の鉱物を取り込み、まるで庭や風景のような模様を内に宿す。宝石の世界では長らく、傷やインクルージョン(内包物)のない透明な石ほど価値が高いとされてきた。市場がほとんど価値を認めてこなかったその景色に詫間と安部は魅了された。

「景色って、時間によって作り出されているんですよね。普通の石もそうですが、自分たちが作ろうと思っても作れない、長い年月をかけて生まれた時間性に、僕も含めてみんな惹かれているんだと思います。それに、石になると人はなぜかゲンを担ぐ。割れたら不吉だ、とかね。そこがすごく面白いんです」(詫間康二/以下同)

地下深くで育つ、石の中の庭

水晶は、地下深くの花崗岩の割れ目を熱水が走り、その圧力と熱のなかで結晶する。成長するときは必ず六角柱状になり、木の年輪のように成長線を刻みながら大きくなっていく。途中でいったん成長が止まると、その表面に別の鉱物が付着し、やがて再び結晶が育つ。こうして内側には、かつての結晶の輪郭が影のように残る。緑の鉱物をまとった”山”が同じ角度で幾重にも重なる様子は、一枚の風景画のようだ。

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「水晶には、その土地その土地の成分を取り込む習性があるんです。だから風景のように、庭のように見える。それでガーデンクォーツ。いつかはわからないけれど、何千万年も前に一度水晶ができて、環境が止まり、そこに何かが付着して、また結晶した。それをみんな愛でているわけです」
山梨で水晶が採れるのも、ある意味では偶然の産物だという。

「もともと地下深くにあったものが隆起して、地表に出てきたのが山梨なんです。地下十キロにあったものが表に出ていたから、水晶が採れた。ヒマラヤやアルプスの水晶も同じで、山脈のあるところで採れるんです。水晶自体はどこにでもある。でも、今から採ろうと思ったら十キロ掘らなきゃいけない。そんなこと、誰もしないですよね」

縄文から続く、甲府の石の歴史

甲府盆地を囲む山々は、太古から石の文化と深く結びついてきた。山梨では旧石器時代から水晶が石器に使われてきた。縄文時代の住居跡からは、黒曜石の石器よりも多くの水晶製石器が出土することもあり、全国的に見ても極めて珍しい石材の使い方だ。
 
「長野の方では黒曜石がナイフとして使われていたように、山梨では水晶だったんです。道具から始まって、やがて勾玉や水晶玉のようなものが生まれていく。五千年ほど前の遺跡からも、山梨の水晶でできたものが見つかっています」
 
詫間によれば、長野の黒曜石、山梨の水晶、新潟の翡翠は、渓谷を通じてつながっていたという。
 
「五千年ほど前に翡翠が渡ってきて、山梨で加工されて仕上がったものも見つかっているんです」
 
甲府の街角には今も、川から運ばれてきた丸い石が置かれ、拝まれている場所が点在する。縄文の昔から続くといわれるこうした丸石の文化も、近年あらためて見直されているそうだ。

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京都の技術がもたらしたつながり

金峰山で水晶が見出されたのは、約1,100年前と伝えられる。転機は江戸時代の天保年間に訪れた。
 
「京都の玉屋弥助さんという人が、数珠なんかを作っていたんですね。その人が水晶を買い付けに来たんだけど、重いから、こっちの人に作らせて製品にして持って帰った。それが始まりです。水晶細工自体はもともとあったけれど、そこに技術革新を起こした。ある程度の機械化も京都から持ち込まれたんです。それ自体は中国から来ているらしいですけどね」
 
およそ200年前の出来事。幕末には数珠や帯留め、根付けの注文が記録に残り、水晶工芸はパリ万国博覧会にも出品された。大正期に入ると南米やアフリカから水晶や瑪瑙が輸入されるようになり、設備の電化とともに精密な技術が確立されていく。甲州水晶貴石細工は1976年(昭和51年)、国の伝統的工芸品に指定された。

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詫間宝石彫刻の始まりは、詫間の父の代にさかのぼる。山梨で名を馳せた彫刻家であった叔父に、北海道の父が弟子入し、2代目となったのが詫間と弟の亘だ。研磨と彫刻の両方の技術を携え、現在はsharanpoiのジュエリーにも携わる。だが、家業を継ぐ道は一度閉ざされている。
 
「高校を卒業してこの仕事をやろうとしたら、断られたんです。儲からないから。業界が衰退していて、やめろと」
 
当時は、水晶が開運をうたう商法と結びつけられ、世間から強く敬遠されていた時期でもあった。行き場を変えた詫間は、10年間、彫金師として金属加工の世界に身を置く。それでも石への思いは消えなかった。
 
「やっぱり石がやりたくて戻ってきたんです。それで石をやり始めたら、あれ?と思った。金属とこう組み合わせたら面白いのに、意外とみんなこの発想がないんだなって。それでどんどん仕事にしちゃった。今思えば、あの時断られてよかったですよね」
 
業界がどん底のなか、なかば強引に家業に入った詫間は、金属と石、そして彫刻の技術を掛け合わせたジュエリー事業を立ち上げる。石と地金をつなぐこの技術が、今では詫間宝石彫刻の真骨頂だ。工房の上階には金属加工の部屋を構え、9人の職人が在籍する。

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東洋の美意識と、京都の縁

sharanpoiの安部真理子は、東洋の優雅な文化と美学に敬意を払い、インドと日本、それぞれの伝統工芸を融合させるデザイナーだ。デッドストックや、すでに市場に出回っている資源を無駄にせず、極上のデザインによって素材を循環させる。その独自のクリエイションは、世の中や他者がつくった座標軸に判断を委ねがちな人の心にも訴えかけながら、何よりも、揺るぎない自己を持つ人の心に深く響く。

今回の展覧会で詫間が何より意識したのは、安部の世界観に寄り添うことだった。
 
「安部さんの感じは、そのままオリエンタルですよね。和も入っているし、アジアンな感じもある。インドの伝統工芸がありつつ、日本の感じもある。世界観は安部さんの中でやりたいんです。そこだけは崩したくない。山梨の伝統的な彫刻の技法を使っているけれど、こんなのあったかなと探してみると、意外とない。そういうものを目指しています」

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水晶に仏陀を彫り込んだリングは、伝統工芸の真ん中に切り込むような大胆な作品だ。当初は詫間自身も「やめたほうがいいんじゃないか」と迷ったが、ふたを開けてみれば反響は上々だったという。
 
石と摺りの技術を知り尽くした詫間は、インドの職人を巻き込むことの難しさを誰よりも知っている。原石の買い付けでインドに通い、現地の加工の仕組みを目の当たりにしてきたからだ。だからこそ、安部が誇るインドでの生産背景は彼女自身が自ら足と手を運んで築き上げてきたものだと知っている。単なるデザイナーと技術者を越えた関係値には、安部が長年かけて足繁く通い、現地の貧しい学校に新しい施設を増設したり、新たに学校を作ったりといったサポートを長らく続けていることにも関係しているだろう。

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大陸をモチーフに10年前に誕生したショットグラス

詫間のシグネチャーであるショットグラスは、すでに10年前に生まれていた。2016年、最初のシリーズにつけた題は「世界の大陸から集めてきたショットグラス」。スイスやマダガスカルなど、五大陸の石でつくった。
 
「五大陸なんだけど、南極はないじゃないですか。だから山梨の石を使ったんです。説明すると、なんで山梨なんですか?って、みんな興味を示してくれる。そのアプローチが結構ウケてスタートしたんです。現在は世界情勢の影響も受けて、少しずつ変わってきています」
工房には、世界中から買い付けた約30トンもの原石が眠る。ショットグラスの原点は、買い付けの現場で出会う”とんでもない石”のコレクションだった。最初はただ好きで作って、売らずに自分のコレクションの棚に飾っていただけだったが、販売を始めると大きな反響があった。大陸ごとの個性は、驚くほどはっきり表れるという。
 
「アフリカのマダガスカルの水晶は抜け感がよくて、透明感がある。真っ白な水晶でも、これマダガスカルだね、とわかるんです。たぶん千五百万年前とかに地下でできたとき、とんでもなくいい環境だったんでしょうね」

伝統工芸品を守りながら、これからをつなぐ

詫間宝石彫刻は、山梨の水晶文化であり、国指定の伝統的工芸品でもある甲州水晶貴石細工の担い手だ。
 
「伝統工芸を守らなきゃいけない、という思いはめちゃめちゃあります。だから人を入れてやっているし、知ってもらうことも必要だと思っている。そこはすごく気をつけています。今回の展示も、ある意味そういうきっかけになればと思っています」
 
「伝統工芸って、結構細分化されているんです。京都によくある話でいうと、問屋さんが技術者を何人も抱えて、この人にはこれ、この人にはこれ、と振り分ける。うちは原石を1から買い付けて、地金を作って、自分で売るところまで全部やる。1社で完結できたらいいなと思って続けていたら、今の形になったんです」

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技術を継承するとは、これまで属人的だった仕組みを組織へと変え、そのうえで自社の独自性をどう高めるかということでもある。5年前、先代である父が亡くなったとき、その技術は会社からごっそり失われた。だからこそ詫間は、個人の技に頼るのではなく、仕組みをつくることに力を注ぐ。
 
「備前焼や伊万里と聞けばイメージが湧くじゃないですか。でも、貴石彫刻、水晶彫刻と言っても、みんな何も浮かばない。俺も浮かばなかったですから」
 
他の伝統工芸に比べて歴史が浅く、時間をかけて作っても高く売れない。その状況を打開するために詫間は、金属との組み合わせで一つの作品を完成させ、海外には真似できない技術を盛り込む。プロダクトとしての日本らしさに、自らが感じる石の時間性を込め、一点ものに仕立てていく。

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地中に眠る鉱物には限りがある。何千万年という時間をかけて育った結晶に思いを馳せ、その時間性の美しさを技術で支え、次の時代へ手渡していく。効率化と生産性が求められる時代だからこそ、詫間のつくる石は、私たちが忘れかけている何かを思い出させようとしているのかもしれない。あるいは、ありふれた小石を拾い集めることが流行する今、無数の石のなかから”自分らしい一粒”を見つけ出す行為に、人は自らの個を重ねているのかもしれない。
 
「超貴重なものではないんです。でも、どこの国の人も、透明な自然物に魅了されている。それがとにかく面白いんです」

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information

sharanpoi × 詫間宝石彫刻 展覧会『水は石、地と時の景』

会期:2026年10月24日(土)〜11月1日(日) 12:00〜19:00(月・火休廊)
会場:haku kyoto(京都府京都市下京区中之町566)
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sharanpoi

Mariko Abe

東洋の優雅な文化と美学に敬意を払い、インドと日本、それぞれの伝統工芸を融合させたブランドsharanpoiデザイナー。“地球上に既に存在する貴重な資源を活用する”という信念のもとに、古いジュエリーから取り外した宝石を再び命ある作品として蘇らせている。南青山のアポイントメント制サロンおよび公式オンラインサイトにて販売。フルオーダーや、お手持ちの宝石をリデザインする特別なご相談も。また、廃棄される運命の貴石やパールを使ったファッションジュエリーAdlin Hueも手掛ける。
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ADLIN HUE

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詫間宝石彫刻

KOJI TAKUMA

水晶貴石細工伝統工芸士。貴石彫刻家として、石の特徴を活かしながら地金加工と融合させた数々の作品を発表。古くからの技法を取り入れることにも積極的に挑戦し、彫刻作品からジュエリーまでと幅広い制作活動を行う。 富士山、八ヶ岳、南アルプス。日本を代表する山々に囲まれ、美しい水晶が産出されたことから唯一の水晶加工の生産地として発展した甲府の地にて、「TAKUMA STUDIO」は受け継がれてきたものづくりの姿勢や意識で作品作りを行い、世界へ向けて発信している。
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