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2025.04.24

笑いと涙のその先にー噺家・林家つる子が紡ぐ人間讃歌

photographer: ERI KAWAMURA
stylist:KAZUE AKI
hair&makeup: LINA JASMIN ASAYAMA
interview: LUNA YAMADA

笑いと涙のその先にー噺家・林家つる子が紡ぐ人間讃歌

江戸の庶民に愛されてきた落語は、懐の深い話芸だ。人の弱さや愚かさ、そこに潜む滑稽さを慈しみながら、人情とともに描き出す。ただ、本来はもっと肩の力を抜いて誰もが楽しめる場であるはずなのに、いつの間にか“格式”という印象に覆われ、遠ざけてしまう人も少なくない。
 
そんな中、落語に宿る普遍の情感を、現代のまなざしで鮮やかに浮かび上がらせようとするひとりの噺家がいる。林家つる子——2024年3月、女性として初めて“抜てき”で真打昇進を果たした新進気鋭の噺家だ。男性の多い落語の世界において、女性ならではの視点で道を切り拓いた彼女は、いま古典落語に新たな命を吹き込む挑戦を続けている。
 
つる子さんが語るのは、古典落語の中にひそむ、今を生きる私たちのリアルな感情だった。

真打として挑む古典落語の描き直し

大学の落語研究会で落語と出会い、卒業後の2010年に九代目・林家正蔵師匠に入門した林家つる子さん。2011年3月に前座として初高座を踏み、2015年11月に二ツ目昇進。2024年3月には、落語協会としては初となる女性の“抜てき真打”となった。
 
抜てき真打とは、通常10年以上を要する昇進過程において、特別に実力や将来性を認められ、早期に真打(落語家の最上位にあたる称号)に昇進する制度のこと。その実力は折り紙付きだが、つる子さんが多くの注目を集めている理由は、噺の巧さだけにとどまらない。
 
二ツ目時代からつる子さんが挑んできたのは、古典落語のなかでこれまで脇役として描かれてきた女性たちに光を当て、その視点から物語を紡ぎ直すという試みである。

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たとえば、つる子さんが新たに描き直した演目のひとつ『芝浜』では、物語の語り手は魚屋の勝五郎ではなく、その女房おみつだ。元ネタではほとんど語られない女性の視点からのエピソードが、綿密に盛り込まれている。
 
「『芝浜』は、酒癖の悪い魚屋の勝五郎と、その女房おみつとのやりとりを描いた、夫婦の人情噺です。勝五郎はある日大金の入った財布を拾ってきますが、おみつは怠け者の夫を立ち直らせるため、酔っ払って寝てしまった勝五郎に『あれは夢だった』と嘘をつきます。ただ、財布を隠して夢だったと言う前に、おみつは一度大家さんに相談しているんですよね。でも、そのシーンは一切描かれていない。だから、きっとそこに“語られていないドラマ”があったんじゃないかなって、ふと思ったんです」
 
つる子さんはそうして、まだ語られていないドラマを探し始めた。そうすると自然と、現代の私たちにも通ずる恋愛や家族愛のかたちが浮かび上がってきたのだそうだ。

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自分を重ねて―普遍の感情に光を当てる

「『芝浜』に関してずっと気になっていたのは、酒におぼれて働かなくなった夫を、おみつがなぜそこまでして支えようとしたのかということでした。財布を隠して嘘までつくなんて、そう簡単にできることじゃない。でも丁寧に想像を重ねていくうちに、生き生きと働いていた頃の勝五郎を、おみつが本当に愛していたんだと腑に落ちました。幸せだった日々を信じていたからこそ、もう一度そこに戻れると信じたのかなって」
 
夫婦が出会った頃の思い出や、日常の何気ないやりとりを想像しながら噺を編み上げていくうちに、おみつに自然と共感が湧いてきたと語るつる子さん。それは、男性を語り手とする噺が多い古典落語の世界に身を置く彼女にとって、初めての感覚だった。
 
「私自身、古典落語を演じるのは好きなのですが、ここまで登場人物に感情移入したことは初めてで。男性の師匠方も、噺の主人公と自分を重ねて演じることがあるとよく言われますが、やっぱり語り手と性別が異なると、感じ方や入り込み方も少し違ってくるんですよね」

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これまで描かれることのなかった女性の視点を通じて、つる子さんが改めて感じたのは、江戸を生きていた人々も、現代を生きる我々と同じようなことで悩み、人を慈しみ、一生懸命に生きていたのだという事実だった。
 
どれだけ描写が古風でも、人を想う気持ちは今も昔も変わらない普遍の感情だ。そうした人間らしい感情にそっと光を当てることで、遠い昔の噺も、今の時代にぴたりと寄り添う。江戸の昔に生きた人々に私たちが笑い、涙する時、そこには時代を超えて通い合う心があるのだ。
 
「昔の人が笑っていた噺で、今の私たちも笑える。それってすごくロマンのあることだと思うんです」
 
共感を軸に紡ぎ出されるつる子さんの挑戦的落語は、聴くものの共感をも呼び起こすことで、落語という伝統芸能を一層身近にしてくれそうだ。

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誰かの背中を押す存在に

共感という視点で落語に触れてみると、登場人物たちの言葉や仕草の奥に、思いがけず自分自身の感情が映し出される瞬間がある。うまく言葉にできない気持ちに揺れたり、大切な人を思いやったり、日々のつまずきにそっとため息をこぼしたり——落語の中で描かれるのは、昔も今も変わらない人の心の機微だ。
 
「“わかるなぁ”って、誰かが自分のことのように思ってくれたら、それが一番うれしいですね」つる子さんは、そう微笑んだ。
 
女性初の“抜てき真打”として紹介されることも多いつる子さん。だが本人は「女性噺家」という肩書きを特別視していない。ただただ、お客さんに“届く噺”ができているかどうか——それが、落語と向き合う上での唯一の軸なのだという。
 
 
けれども、その自然体の姿勢こそが、いまを生きる女性たちにとって思いがけず深く響いているのもまた事実だ。たとえば、かつてドキュメンタリー番組で特集された際、ある女性視聴者からこんな感想が寄せられた。
 
「男性社会の中でずっと合わせて生きてきたけど、それがもう苦しくなっていた。でもこの番組を観て、“新しい道を切り拓く努力をしてもいいんだ”って思えたんです。すっと心が軽くなりました」
  
その言葉を聞いて、つる子さん自身も励まされたのだそうだ。“女性噺家としての意義”を声高に語らずとも、その姿が、静かに女性の背中を押している。そこに、つる子さんの落語が持つもう一つの力がある。「嬉しいですね」と、つる子さんは少しはにかんだ。
 
「私、オーディション番組がすごく好きなんです。挑戦して、うまくいかない時もあって、それでもまた立ち上がる姿にすごく勇気をもらえる。だから私も、そんなふうに挑戦し続ける人でいたいと思っています」
 
日々を懸命に生きる誰かが、ほんの少し前を向けるように。つる子さんの落語は、これからも、私たちの背中をそっと押し続けてくれるだろう。

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それは私やあなたの物語

とりとめのない悩みに包まれる夜や、ふとした言葉に救われる朝。時間が経って思い出すのは、出来事そのものではなく、そのとき心にふっと浮かんだ、名前のつけられない感情だったりする。
 
林家つる子さんの落語には、そうした感情が、やわらかく編み込まれている。どこか他人事に思えていた古典の噺が、ふと、自分のことのように感じられる瞬間。気がつけば、笑って、泣いて、少しだけ気持ちがほどけていく。
 
そんな芸こそが、きっと「人間讃歌」と呼べるものなのだろう。
 
今あなたが抱えているその気持ちも、どこかの噺にそっと織り込まれているかもしれない。そんな期待とともに、ふらりと寄席を訪ねてみてほしい。そこにはきっと、私やあなたの物語が待っているから。

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落語家

林家つる子

2010年に九代林家正蔵に弟⼦⼊り。2015年11⽉に⼆ツ⽬昇進、2024年3月21日に真打昇進に昇進。古典落語から自作の新作落語にも取り組む傍ら、古典落語の名作である「子別れ」「芝浜」「紺屋高尾」に登場する女性たちを主人公に、彼女たちの視点から落語を描くという挑戦も行い話題となっている。落語文化の発展に向けて、寄席だけでなく、ギャラリーやライブハウスでの落語会、またメディア出演やYouTube、SNSの発信など、幅広く活動している。今後の公演情報は林家つる子公式Webサイトへ。
 
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WRITER

山田ルーナ

芸術大学の音楽科を卒業後、文筆業を開始。ウェブメディアを中心に、コラムやエッセイ、インタビュー記事などの企画・執筆を行う。良くも悪くも興味の幅が広い性格から、クラシックピアノをバックグラウンドに持ちながらも、実は音楽についての記事はあまり書いたことがない。
 
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