香りは、目に見えない。
形を持たず、輪郭も曖昧で、そこにあったことすら、気づけば消えている。
それでも香りは、人の奥深くに残る。記憶や感情、身体感覚と絡み合い、ある瞬間を強く呼び戻す。
CURIONOIR(キュリオノワール)のフレグランスが放つのは、そうした「説明できない何か」だ。
ブランドの創設者であり調香師のTiffany Witehiraは、その香りの背景に「Whakapapa(ワカパパ)」という言葉を置く。それは、系譜、血脈、意図を意味する。彼女にとって、創造とは必ず“つながり”の中にある行為だ。
彼女の体に刻まれたタトゥーは、古代マオリの女神を表す。
「ヌイ・テ・ポウ」──最も長い夜。
それは死を意味するものではない。魂が次へ向かうまでの、静かな“間”を守る存在だ。
闇でありながら、恐れるべきものではなく、包み込む時間。
CURIONOIRという名前はマオリ語ではない。
Curioは好奇心を刺激する芸術的なオブジェ、Noirは夜。
フランス語の響きを持つその名は、彼女が過ごしていたある時間、そのものをすくい取っている。

彼女の左腕に彫られた可愛らしいタトゥーは彼女にとって最も特別な瞬間の一つを表す。それは、一族にも繋がる人生の重要なエレメントだ
20年近く前、Tiffanyはニュージーランドでファッションや広告の仕事に携わっていた。当時、香りづくりは副業のようなもので、明確な将来像などなかったという。
「調香師になる」「ブランドをつくる」と決めて進んできたわけではない。ただ、なぜか離れられなかった。
理由は言葉にできないが、内側から強く引き寄せられる感覚だけがあった。
その頃、彼女は息子に授乳をしていた。夜中に目が覚め、そのまま眠れなくなる。
多くの人にとっては、ただの疲労の時間かもしれない。だが彼女は、その闇の時間に手を動かし、香りを学び、調香を続けていたという。
誰にも見せる予定もなく、評価されることも想定せず、闇の中で、ただ惹かれるものに向き合っていた。
Te Pō──夜。
Noirの中で生まれた創造の時間が、そのままCURIONOIR(キュリオノワール)という名前になった。



商品は、香水やキャンドルを展開。香りのブレンドは彼女の記憶に基づき、自然のエレメントが盛り込まれつつ元スタイリストらしい都会的かつファッション的な独特なブレンドが魅力だ
血族に流れるマオリ族のヒーラーの教え
彼女の創作の根には、家族の歴史がある。
Tiffanyの家系では、マオリの伝統医療「Rongoā(ロンゴア)」が代々受け継がれてきた。
曽祖母の父は「トフンガ」と呼ばれるヒーラー。
在来植物、樹皮、花、シダ、木部を使い、マッサージや祈り(Karakia)も含めて人を癒す医療だ。
自然を憂い、その恵みと力によって人間たちを癒やしていく。
代々受け継がれてきた知識、手法、礼節。マオリ族の一人ひとりに深く根ざす大切な教えだ。
しかし1907年、ニュージーランドではトフンガ抑圧法が施行される。
植民地政策の一環として、Rongoāは制限され、実践は罰せられた。在来植物で人を治療することが罪に問われ、人々は西洋医学へ行かざるを得なくなった。多くの知恵や技術が、失われる危機に瀕した。
その中で曽祖母は、諦めなかった。彼女は看護師となり、西洋医学を学ぶ。
それは伝統を捨てるためではなく、二つの世界を理解し、つなぐためだった。
さらに彼女は、病院ではマオリ語を話せない医師と患者の間に立ち、通訳を務めた。患者が何をされているのか分からず、不安に陥らないよう、言葉で橋をかける。そして家に帰れば、植物を使ったケアを続け、日常の中でRongoāを実践していた。
祖父母の存在は、ティファニーにとって強いインスピレーションとなって彼女の前進を支えているという。
対立ではなく、併走。
その姿勢は、ティファニーのものづくりにも深く息づいている。
今も彼女の家族には、日常の中で続けている習慣がある。それは、Kūmarahou(クーマラホウ)という薬草を、毎日飲むこと。
酸味の強いトニックで、決して飲みやすくはない。それでも呼吸器やアレルギー、内臓の浄化に良いとされ、季節を問わず続けられている。
曽祖母や祖母が教えてくれたのは、「採りすぎない」ということだった。
必要な分だけをいただき、自然から奪いすぎない。
この感覚は、現在のキュリオノワールの姿勢にもそのまま反映されている。

最初に生まれた香り「Dark Bouquet」は、森で過ごした記憶から生まれた。
曽祖母や祖母とともに数日間ブッシュの中で過ごし、森を出たあとに出会ったジャスミンの茂み。
手をこすり、顔を近づけ、突然押し寄せてくる甘さ。
何日も自然の中に身を置いたあとの、強烈なコントラスト。ジャスミンを軸に、ベチバー、レモン、少しのシナモン。
若く、シンプルで、今の作品に比べれば未完成かもしれない。それでも彼女は、その香りを否定しない。始まりを尊重することは、進化を肯定することでもあるからだ。


CURIONOIRの香りに隠れた真の哲学とは
キュリオノワールは、Extrait de Parfumだけをつくっている。Extrait de parfumは、最も濃度が高く、樹液のような質感を持つ。
空間に広げるのではなく、肌に押し込むためのものであり、纏うのではなく、関係を結ぶものだ。
香りは完成品ではない。
使う人の体温や生活と混ざり、時間をかけて変化する。
だからTiffanyは、「これは私のものではない」と繰り返す。
香りは、そこから先、使う人の物語になる。

サステナビリティについても、彼女は簡単な答えを選ばない
「サステナブル」とラベルを貼るだけでは、足りないと感じている。
天然か合成かという二項対立ではなく、誰が、どのような条件で、それを扱っているのか。
人の倫理をまず考える。
売り切れたら、待ってもらう。無理に補充することもしない。
何かを失わせるくらいなら、つくらないという選択もある。
それは祖母から受け継いだ、静かな哲学だ。


left: 大きめのキャンドルは、地元の工芸職人の手作り。キャンドルとしての使命を終えたら、花瓶などの入れ物として長く活用できるようなデザインに。おいておくだけでインテリアとして特別な存在感を放つ。right: 手作りで一つひとつ作られた香水瓶。香りだけでなく佇まいが暮らしを洗練させてくれる
デジタルに覆われた現代社会において、香りは人を一瞬だけ現実に引き戻す。
指でつけ、呼吸し、感じる。
その短い時間で十分だと、彼女は言う。
世界を変える必要はない。
ただ、誰かが祖母を思い出す。
森や自然、忘れていた感覚にふと触れる。
キュリオノワールの香りは、そのきっかけでありたい。
闇の中で生まれた香りは、
今も時間と血脈をまといながら、
静かに、誰かの身体へと溶け込んでいく。



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