今にも動き喋りだしそうな、まるで生き物のような存在感。それらはアーティスト西村浩幸が作る、使うことのできる彫刻「彫刻家具(スカルプファニチャー)」の作品だ。2024年3月には、彫刻界の権威あるコンクールKAJIMA彫刻コンクールにて金賞を受賞した。一度見たら忘れられない強さと愛らしさ、他にはない独特のフォルムはどのように生まれているのだろう。
5月初旬、晴天に恵まれたある日、大磯の山の麓に位置するアトリエを訪ねた。アトリエと言っても、屋根や壁で囲われた建物などなく、大空の下、青々と草木が茂る野原が一面に広がっているだけ。そこにチェーンブロックとそれを吊るす設備3基と丸太の山が並んでいる。西村さんは、30年もの間ずっと変わらず、都市で伐採されたり、台風の倒木など処分され、捨てられる運命の雑木を使って彫刻を作り続けている。そもそもなぜ雑木に着目し創作をしようと思い立ったのかたずねると、その答えは意外にもシンプルだった。
「当時、バブル期だったので都市開発によって伐採され捨てられる雑木がたくさんあった。大量にトラックで運ばれていくのを見て、まずはもらい受け、そこからどうしようかと考え始めた。最初はそこまで環境のことを考えていたわけではなく、ただ捨てられているのがもったいなかった。30年前からずっとやってるから、流行りに乗っていると思われたくないねん」
もったいないという思いからスタートして30年以上。20台ものスウェーデンのハスクバーナー社のチェーンソーを所有し、丸太のサイズに合わせて使い分けながら、勘が狂わぬよう一発で素早く切っていく。ほぼ全工程をチェーンソーで削り出し、最後に表面をグラインダーで整え仕上げる。一気に作業し、小さいスツールで約3時間。大きい丸太を縦に割ってゆくときは、両端から切り込んでいくため半分切るのに半日を要する時もある。しかも切るたびにチェーンブロックに吊るしては下ろすを繰り返す、1日がかりの作業。野外での制作は、体力勝負の格闘だ。
こうして生み出される彫刻家具は、家具といっても手仕事でしかできない造形と温かみ、独自の感性、美意識で表現された世界に一つしかない芸術作品である。海外からの評価も高く、ラグジュアリーブランドとコラボレーションすることも多い。最近では、2024年3月、銀座にリニューアルオープンしたマルベリーのブティックのウィンドーを飾った。また、親交のあった染色工芸家、柚木沙弥郎氏も生前、彼の彫刻に魅了された一人だ。今でこそ、サステナブルな文脈で語られることも増えたが、西村さんにとって作家活動は、社会に対するメッセージとは完全に切り離した美の追求なのだという
西村さんの美意識は、作品だけでなく、ライフスタイルにも一貫している。それを物語る逸話がある。20代後半には、家中のプラスチック製品を全て捨てたというのだ。バブルの時代、世の中がプラスチック全盛期に。きっかけは『地球家族』という一冊の写真集。世界各国のふつうの暮らしを捉え、家の前に家財道具を並べて撮影された家族のポートレートという内容だった。
「一番ダサいページが日本だった。そこに写っていたのは、大量生産のプラスチック製品で、どれもうちにあったものばかり。一方、インドやベトナムにあるのはどれも本物。それを見て、家中のプラスチック製品を全て捨てました。それが悪いわけではないけど、僕の中では一回終わったんです」と。かっこ悪いという理由で感覚的に決断した脱プラスチックも、結果、現代社会の潮流の先を行くことになった。
次世代の美術家を育成するのは社会貢献
西村さんは、作家活動と並行して、芸術家集団「象鯨」も主宰する。かつて20年以上にわたり高校や美術予備校の講師を務めてきた。そこで通常教えるべき美大合格のためのノウハウよりも、芸術家としての土台づくりが大事だと、新たに芸術家仲間と「象鯨」を立ち上げ、美術学院を開設した。
「僕のモットーは、傾向と対策を取らないこと。その代わり、絵を描くことの大切さを教えています。象鯨の象は<かたどる>という文字ですが、人物デッサンなど象る鍛錬を繰り返します。コンセプトありきのアートだったら美大を出なくてもできる。でも、僕らはアートという不要なものに高いお金を払って買ってくれる人に夢を与えないといけない。美術を学んできた人は絵も描けるし、この彫刻の造形も人物からきているということを示す必要がある。だから、生徒にはお節介にも、作家はきちんと線が描けないとあかんよと教える場を提供しています。僕なりの社会貢献です」
人間にしか描けない線を追求する
生徒たちに教えながら、いまだに日々の人物デッサンやスケッチなどの練習を続けている。西村さんにとって、線を描く、象るという行為は、彫刻を作るためのスケッチの前段階として必要なプロセスなのだ。
「人物クロッキーは、ヘマしたらすぐにバレます。例えば、図面からできている工業プロダクトなら理屈としては絵心なくてもある程度は描けるし、左右対称にするならコンパスを使えばいい。でもそれでは面白くない。本来は人間の手でなければ描けないものを描くべき。そう考えると、人物というのは究極で、目の位置がちょっとずれるだけで変な顔になるように、少しバランスが崩れると気持ちが悪い。だから人物を描くと、自分のデッサンの拙さが一目瞭然なんです。
彫刻の造形においても、理屈ではなく感覚的に、線の好き嫌いという基準があって、それを知るためにも人物デッサンは必要だと思っています。美大で教えるような放物線は誰が描いてもきれいで、その良さもわかるけど僕たちがわざわざ描く線ではない。感覚を使えていない。だから放物線に頼るなと教えています。じゃあ、お前の作品はいいのかって言われると、僕の作品はダサい。その代わり死ぬまで努力する」
木とも自然とも格闘する、環境も含めての作品
木を削り出す際には、設計図のデッサンを用意はするが、いざ削り始めると、大きな節や虫食いの穴に邪魔されたり、ねじれが強かったり、自然素材特有のイレギュラーなことが多く、デッサン通りにはいかない。むしろそれを回避しながら削っていくと予想外に面白くなる。彼に言わせば、自分の拙いデッサンが樹勢や素材の力に助けられ、かえって良くなるのだそうだ。
同時に、自然のままのアトリエも作品に大きく影響を及ぼしている。強風の日も、日差しが強くて暑かったり、寒かったりということも受け止めるしかない過酷な環境。どんなに急いでいても天候が悪ければ作業ができない。木との闘いだけでなく自然との闘いでもある。西村さんにとって、この環境が大切であり、それを含めての作品なのだという。「作品が住居のようなイメージ」という彼の言葉通り、大空の下に存在する彫刻家具は、まるで森の中に佇む一軒家のようで、アトリエと彫刻家具の必然性に納得してしまう。
僕という人間も好き嫌い言われているうちが花
現在63歳(取材時)の西村さん。同年代のアーティストの多くは美大の教授、学長になっている中、相変わらず努力を惜しまず挑戦し続けている。そして、アトリエには予備校の生徒をはじめ、彼を慕い手伝いにやってくる教え子たちが引き付けられるように集まる。恩師であり、先輩であり、仲間のような存在。本人は年齢の割にはガキだというが、ある意味そうかもしれない。自らを謙虚に発展途中といい、批判されることも厭わない姿勢がそう思わせるのか。
「憎たらしいことを言うと、全員が好きなものはいわゆる平均値。僕らアーティストは平均値で作っていないし、好き嫌い分かれるのがアートだから、みんなに褒められるようになったら終わりや。作品も僕という人間も、好き嫌い言われている間が花やと思っています」
西村浩幸という芸術家から削り出される全ての作品が、彼の生き方を映し出す鏡であり、分身であり、自画像のように見えてくる。